ベルベル人の女たち・・・
2019年 01月 26日

その十年後の新しくなったフェリーです。
当時のフェリーは、ボロボロで、野良犬や野良猫が住み着いていました。
トイレに入ると、床は水浸し・・・ベルベル人の女たちが、ただの石鹸を使って、盛大に洗濯をしたり、
赤ん坊を洗ったり、髪の毛を洗ったり、水浴びをしていました。

夫の車、フォルクスワーゲンのドアは壊れており、荒縄で結んでありました。
村に向かう街道には、アラブ語のコカコーラの看板が・・・どうしよう・・・こんなところに来て、日本に帰れるのだろうか ?

小さな村の田舎の家には、街中からタクシーを使って女中が通って来ました。
噂では、その女中は、元売春婦で、ミッキーマウスのテーシャツでジーンズを履き、ルイビトンの財布を持っていました。
この村で、そんな恰好をしている女は、売春婦と女中と、私だけでした。

女が外に出ることはなく、みんな、日がな一日、窓から顔をのぞかせているだけでした。
女たちの目の周りは青く染まっており、特殊な化粧かと思っていたら、男が殴った青タンであると、あとで知りました。
私も、ただただ、窓から外を眺める日々でした。

時々、夫の仕事場に行きました。船も小さく、漁師たちは素人で、夫の髪は瞬く間に白くなりました。
集まっているのは、ほとんどが野次馬で、魚をもらいにきているのです。

ひっくり返りそうなくらい驚いています。
凄いなぁ!!
女が出かけることのない街や生活。
そして殴られて青たんを作る女。
そんな中を、一人で出かける青目さんの豪胆さ。
好奇の目で見られ人が集まり、犬や子供が後をついてくる。いくら若いと言っても、異郷の地でただひとり。
そんな人生を歩んできた女性がいるなんて・・・。
ただただ 尊敬を抱くばかりです。
若かったから出来たと言ってしまえばそれまでですが、もともと持っているものが、一般女性と言われている人達とは、異なるのでしょうね。
私の友人の一人が、ご主人の仕事で、スーダンに住み、幼子を連れて、早朝魚市場に一人で行ったことを、今振り返るとよく何もなかった、ラッキーだった・・・と言ったのを覚えています。
またこの本の出版を楽しみにしてます!
歳をとってから振り返ると、もしわかっていたら絶対しないしできないことを、若い、知らない、というだけで出来てしまう。
そしてその時はそうしか出来なかった、という運命の流れなのかもしれません。
すごい経験です。やっぱり小説だわ!!
娘さんが、こんなところでこんな暮らしをしていたとしたら・・・母には心配をかけました。赴任地が、スペインでなくアフリカのモロッコなどということは、ついに言えませんでした。モロッコの写真も一枚も見せていません。
スペイン人が黒い瞳で黒い髪の人々だということも知らない人でした。外国人はみな金髪碧眼と思っていた人です。
スペインに行くつもりで出かけましたから、とても驚きました。ただ、モロッコの小さな漁師街は、コネさえあれば安全でした。泥棒するとその手を切られてしまうようなところでしたから・・・(怖い)。
後にモロッコはとても好きになり、スペインに移ってからも、毎週末通うほどでした。ポルトガルに住むようになっても、犬を連れて行ったほどです。
"その時はそうしか出来なかった"・・・バカげていても、そうするしかないことってありますね。
ひとりではとても帰れるようなところではありませんでした。
ゾッとするようなことが沢山ありました・・・今となっては、ですが。
流石に文筆家、文集の歯切れが良くて引き込まれます。
それにしても、よくぞ40年前や30年前頃の写真が残っていますね。
モロッコ、2年ほど前に行きましたが、田舎では市場は男ばかり。カフェみたいな所も男ばかり。
イスラムの世界ではどこも女性は人目に曝さないですね。
ご指摘にドキリ・・・いやはや、ブログは書きなぐりで推敲もせず、これはまずいだろう、と、思っていたところです。
短い文章を心がけ過ぎて、わかりにくいこともあるようです。
もう少し、考えて書くようにいたします。
二年前ですか・・・もっとも危険な時ではないですか ? 住んでいた外国人(主にフランス人)のほとんどは引き上げているそうです。
この頃は、女たちの外出時は、髪も口元も隠し、わずかに目だけが出ていました。肌の露出なんて・・・袋だたきに遭います。あぁ、怖い。
このところ青目さんのブログにコメントが送信できなくて、困っていました。
今日は大丈夫かな?
青目さんの経験は兼高かおるさんよりすごいかもしれません。
ベルベル人ってはじめてみました。
面白い帽子をかぶっていますね。
お母様には言えなかったでしょうね。
こういう時は黙っている方がいいですね。
でも青目さんは勇気がありますね。
市場にもカフェにも一人で行ったんですから。
女性は出歩かない民族なんですね。
でも殴られるのは酷すぎるな~。
うはぁっ〜、すごい人が出てきちゃった。私は無知ゆえの強さ、ということで、両極端です。
いろんな部族がいるようですが、北は多いようです。私たちにはどう違うのかはわからない・・・兼高さんはご存知だと思います。
この縞の織物が有名です。とても丈夫でしっかりしていて、敷物にしたりこうして荷物を包んだり、タオル代わりにもなるし・・・この帽子は・・・今、気がつきました、見たことないです。ほらね、兼高さんとは違う・・・ごめんなさい。
今はだいぶ変わったようですが、貧しいところは、女子供にとって厳しいですね。男の行き場のない怒りが、弱いものに向けられるのです。
本当に勇気がおありになる。
私たちの場合は29歳で一文無しでアメリカにわたり、
ただただビンボーだったというだけですが。
お互いに若かったのですね。若いからできた...

若さ故の行動ですね。若いって改めて良いなって思います。
歳をとると、何よりまず安全を考えますから何事も動作も時間もかかります。
名誉やお金なんかより若いエネルギーが欲しいです。

真っ青な空や海の色、乾いた空気ととてもよくマッチしています。
こんな布地手に入れたいですねー。若かかったら布地を買いにモロッコへ行きたいくらい。
友達であちこち旅行をした人がモロッコはとても良いところ、魅力あふれるところだったと言っていました。
凄まじい・・・とはほど遠いです。旅が嫌いですから、どこでも住む家があれば居座り、なんとかやってこれました。
アメリカにお住まいなのですか ? モロッコに行く前、NYに住もうかと、ずいぶん迷いました。労働ビザもなく、あまりに賃金が安かったので、断念したのです。
若いって、力があるのですね。
ただただ、目の前のことに精一杯で暮らしているうちに、時がたちました。
点々とした分、ポルトガルの20年が人生始めての落ち着いた暮らしだったと思います。
スペインやモロッコの暮らしを、ようやく思いだすようになりました。
はい、怖くて、もうモロッコには行けません。ツアーは人気があるようですね。
この布は、便利でした。丈夫な太い糸・・・木綿 ? でしっかりとしています。土産用の粗悪品も出回っていますが、私は古道具屋で買い漁りました。まだ使っています。
名誉は・・・うっとうしいですねぇ。責任もあるし。お金も、それほど入りませんねぇ・・・さて、なにをしましょう ? ということですね。