1960年代・・・あの頃、なにが起きていたか・・・私やあなたに・・・
2019年 08月 14日
103円の凌ぎに、本を読んで過ごしました。
世田谷代田の珈琲屋、グラウベルがお気に入りだという作家の片岡義男は、私たちの年代のものにとっては、懐かしい人です。
懐かしい人・・・とはいえ、いまだに旺盛に本を出し続けていることを知って驚きました。
どの本も、題名のつけ方が素晴らしい。
まだ、誰もが貧しい四畳半のアパートなどに住んでいた頃・・・
ラジオで彼の、洒落た音楽や夜の街、車、オトコとオンナの大人の会話・・・そんな憧れの世界に耳を傾けたものです。
声がよい人でした。
1960年から1973年までの、自伝的物語を、当時のヒット曲と映画を背景にして綴ったショートストーリー集。
ちょっと気恥ずかしいくらい・・・洒落た本です。

一方で、年代的に、全く同じ時期、極端なほど別の世界がありました。
新宿二丁目の伝説のバー「ナジャ」「アイララ」に集った、個性的過ぎる人々。
赤塚不二夫、タモリ、篠山紀信、金子国義、宇野亜喜良、四ツ谷シモン、田名網敬一、大島渚、寺山修司、唐十郎、浅葉克己、・・・etc
本としては、好みではありませんが、中にある、赤塚の漫画が愉快、なぜか鼻を垂らした篠山紀信が登場しています。
1960年、私はまだ中学生でしたから、この世界に紛れ込んだのは、少し後のことで、!964年過ぎあたりでしようか。
片岡義男の世界が、憧れの大人の世界だった少女にとって、二丁目の魑魅魍魎の世界は恐怖でもあり、
しかし、強く引かれたことも確かです。
毒素を振りまく大人たちを目の当たりにして、震えながらもそこを立ち去ることが出来ませんでした。

伊豆に戻る列車で読んだ新聞には、コシノジュンコが、ヒッピー見たさにカリフォルニアに行ったり、NYに安井かずみに会いに行ったり。
やはり、その当時の話を、懐かし気に綴っていました。
昭和が終わったせいでしょうか、近頃、1960年代、'70年代にまつわる本が数多くでているようです。
この頃の、映画や音楽に勝るものは、ない気がします。
片岡義男と聞くと、南佳孝の歌が自然と聞こえてきます。^^
60~70年代、当時は子どもだったけど、それでもいい時代なと思ってたし、今もあの頃が理想的に思えます。
大人たちがみんな輝いていました。
希望に溢れていた感じです。昭和の絵顏が懐かしいです♡

まぁ〜、私の娘だわ・・・場所柄もあるのでしょうが、悠々自適なお暮らしのご様子に、てっきり同年代かしらと思い込んでおりました。軽々とパリにお出かけになったり・・・行動的な訳だわ。
なにやら、漠然とはしていましたが、夢と希望がありました。映画や音楽、ファッション・・・憧れるものが、人が、たくさんあった時代ですね。
わっ・・・! 救援物資。
フランさんは、少し年下ですから・・・芸術の世界では、ハイレッドセンターの時代を目撃していらしたでしょうか ? 赤瀬川原平とか・・・源平ちゃんと呼んで懐いていました。あんなことしていたけれど、ごく普通の気弱なおじさんでした。
アルバイト先のサトウ画廊に、池田満寿夫が絵の具をツケで買いに来たり・・・みな貧乏でした。
画廊の相談役、馬場彬という絵描きに片思いしていました。
あ・・・いろんなことを思いだしました。

新宿駅で、寺山修司と九条栄子さんをお見受けした時は、流石、"東京"と思いました。寮に帰って、皆んなにその事を自慢話の様に喋りました。
新宿に行くまでは、私もボーと過ごし、学校をさぼって歌舞伎座あたりをウロウロしていたのです。終演間近になると、切符売り場のおばちゃんが、手招きしてただでいれてくれました。
そんな静かな生活が、新宿で・・・崩壊・・・いまに到ります。
セツ先生は、この頃、どこにいらしたのでしょうか ? お見かけしなかった・・・青山界隈でしょうか。
新宿は、高校生の頃、一度行っただけ・・・駅から伊勢丹まで、怖くて走って行った思い出があります。いまは怖いもの無しのバアさんになりました。
昔は、地域性のようなものがありましたね。それぞれが違っていました。銀座派だった私も、始めて新宿に行った時はカルチャーショックを受けました。なんて面白そうなんだろう・・・と。それが間違いの始まりです。