「あのなぁ・・・オレ、近々、死ぬらしいわ・・・」と、Sから電話があったのは、十日ほど前のことです。
庭仕事をしていた私は、一瞬、言葉に詰まったものの・・・「あ・・・そう」と、いいました。
「やりたいことは、全部やってきて、思い残すことはない・・・で、さよならを言っておこうと思って・・・」
「わかった・・・」
なんと言ったらいいのか・・・近頃、死というものがとても近いものになり・・・あまり驚かないのです。

徳島の友人Mと、四日市に行きました。
部屋に入ると、挨拶もそこそこに・・・うす暗がりに突然、この曲が流れました。
時々、ジャージャーと針の音がして・・・あの時のままです。
あの時・・・とは、50年前のジャズ喫茶の暗い店内と、ノイズの入った音・・・体がしびれるような音の洪水。
三人とも、背中を丸め、黙って曲に聴き入りました。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=320&v=_BlHRPXPx-4

なんでだろう・・・ユーチューブの埋め込みが出来なくなりました。
Curtis Fuller Five Spot After Dark・・・これを聴きながら、読んでいただきたい物語です。
かつての不良少年少女たちには、どなたにも懐かしい曲だと思ういます。



「お前たちが来たら、一緒に聴こうと思って探しといたんや・・・」と、Sが言いました。

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東京時代を過ごした四人の仲のよい男たちは、それぞれ、二人が京都、ひとりが徳島、そして電話の主は四日市にいました。
京都の二人はすでに亡くなり・・・。
徳島のMが、会いにいく・・・というので、私も行くことにしたのです。
七年ぶりの再会でした。

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香舟先生が、ご主人の赴任で名古屋に移った時、ひとりの男友達を連れて行くと・・・
なぜか、京都、名古屋、蒲郡に居合わせた彼らは、芋づる式に次々と・・・お腹を空かせた青少年が香舟先生のところに入り浸りました。
当時は、名古屋にいいジャズ喫茶があり、いいミュージシャンのコンサートも沢山あったのです。
私も東京からよく通いました。


四人の男たちのなかで、唯一、会わなかった男がいます。
京都の家具職人、スミダ君です。
「青目とスミダは、気が会うでぇ・・・会わせたいなぁ」と、誰もが言ったのですが、ついに会うことがありませんでした。
私がヨーロッパから帰国するのは、いつも冬で、彼は雪深い京都の山奥に住んでいたのです。

これは、男たちが最後に集まった時の、私にとっては幻のスミダです。始めて見ました。
みんなで大いに笑い・・・この一週間後に亡くなりました。
きれいな顔です・・・スミダが綺麗なのは顔だけでなく、いかに心が綺麗だったか・・・と、この日、二人の男が聞かせてくれました。

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デザイナーのSは、自分で設計した、なかなかチャーミングな家に住んでいました。
彼女はいるけれど、一緒には暮らしていない・・・なるほど・・・台所の綺麗さを見ると、人とは暮らせない男なのでしょう。

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凝り性で、こだわりが強い・・・なにごとも、いい加減な私とは、よく喧嘩をしたものです。
このプレイヤーも大変な年代物で・・・レコード針が、ご、ご、ご、ごじゅうまんえんも・・・するらしい。
アホらし、元気だったら一悶着起きていたことでしょう。

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彼が設計したという、寿司屋でご馳走を食べて・・・帰ってから、ジャズを聴き、夜中までおしゃべりをして・・・
若者のような一晩を過ごしました。

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病院にははいらず、最後まで森の奥のこの家で、ジャズを聴き、コーヒーを飲み、煙草を吸って、夜更かしして過ごすそうです。

若いとき、Sとスミダは、スペインを放浪し、辿り着いたのがイビザ島でした。
以来、毎年のように訪れていた島に、この六月にもひと月を過ごしてきたそうです。
Sが、もう一度、イビザに行けますように・・・また、三人で、この森の桜を見られますように・・・と、祈りながら帰りました。











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by aomeumi2 | 2018-10-15 14:37 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(14)

              

いい映画でした。

帰国以来、気がつくと空を見てない・・・こんな田舎にいるのに。
海の近くに住んでいるのに、海もみていない・・・音楽も聴いていない。
あぁ〜、音楽はいいな・・・こんなに楽しいものを忘れているなんて。


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小さな映画館で、終わると「ブラボー !」と、声がかかるのも珍しいです。

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動画を載せたいのですが・・・なぜか、できない。埋め込み禁止になったのでしょうか ?
「ブエノビスタ・ソシアルクラブ・アディオス」で検索すると、すぐに出てきます。
残念です。


これはどうかしら・・・あ、クリックしたら出ましたよ。
             

最初の映画から18年。ほとんどのメンバーが死んでしまいましたが・・・なんと幸せな人生でしょうか。

コンパイ・セグンドは、公演の舞台に立ってから、二週間後に亡くなりました。
歌うのをやめて靴磨きをしながら貧しい暮らしを食いつないでいた、イブライムはグラミー賞をとり
最後の舞台から4日目に亡くなり・・・ピアニストのルベンも亡くなり、みな90代です。
女性歌手のオマーラは、歌いながら死にたいと、いまだに健在です。
テレビを消して・・・音楽を聴いています。もちろん、踊りながら・・・。











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by aomeumi2 | 2018-10-06 11:15 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(12)


舞踏家、中嶋夏は、今や世界的に有名な舞踏家です。
全く違う世界にいたものの、50年以上の付き合いです。
若いころは激しい喧嘩もしたけれど・・・(原因は私の無知 ? かな)
夏ちゃんが、今になってご褒美を受け取りはじめた気配が、とてもうれしい。


舞踏は、日本発祥の踊りで・・・土方巽、大野一雄が第一人者です。
その愛弟子である中嶋夏は、この道一筋、舞踏家として生きてきました。
日本で活躍の場は少なく残念なことだけれど、久しぶりに小さな公演があるというので馳せ参じました。

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とはいえ・・・実は、舞踏は全然わからない。
トークショーがあって、初めてというくらいに舞踏のことが少しだけわかりました。
寡黙な彼女が、舞踏のことになると、たちまち少女のように目を輝かせ、饒舌になったのでした。
あまりのピアなオーラを放つ彼女の前に立つと、何もかもが、いかがわしく感じられます。
特に言葉が・・・気の毒なくらいなものでした。

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このような・・・難しいものに・・・会場は満員ということに驚かされました。
私にはチンプンカンプンな分厚い、そして、高すぎる本が・・・飛ぶように売れていました。
そういえば・・・世の中に難しいものが少なくなったのかも知れません。
なんでも、やさしくわかりやすく解説し、くどいほど説明し・・・。
人々は、難解なものに飢えているのかしら・・・と、思った秋の夕暮れ。

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この人、笠井叡氏も同年代・・・現役のダンサーです。
海外公演が多く、漁師町の隣のファロで開かれた公演に行ったら「こんな地の果てに、日本人がいたとは・・・」と
反対に驚かれました。

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大野一雄は、死の間際まで、ベットに横たわり、手だけで踊りました。

夏ちゃんは70才のときに、自らの老いと対面し・・・世界各国で新作を上演し続け、75才になり、
「さらに奥まっていく我が老いを見つめ・・・」と今回の公演に着いてのコメントしています。
いまだに少女のような容姿ですが・・・ちょっとウルウルしてしまいました。
この人も、死ぬまで踊るのでしょう。
長く続けているだけでは、ご褒美はもらえない。







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by aomeumi2 | 2018-09-30 11:21 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(12)



近所の居酒屋に連れて行きました。シャイなので、家で飲むより楽しいだろうと思いました。
なんでも食べます。
なんだか、顔つきが大人になりました。
一人前になったのね・・・自分の仕事に誇りを持っているらしいことが、なによりうれしいです。

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お土産がすごかった・・・実際に頼んだのは、手前の小瓶、ピリピリだけだったのですが・・・。
ワインは、漁師仲間がそれぞれ持たせてくれたそうです。
どれも心のこもったものばかりです。

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巨大なニンニクと、唐辛子は、カルロスの彼女から・・・市場好きのワタシを知っているからです。
オリーブオイルもひと瓶ありました。
これで、ポルトガル料理を作れるようにとのことでしょう。気持が嬉しいです。

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市場のチーズもたくさん・・・

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アーモンドの粉で作ったお菓子もありました・・・懐かしい・・・ありがとう。

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仲良しのお隣さんにも付き合ってもらい・・・二人とも日本人離れしているので、まるでポルトガルで飲んでいるようでした。

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焼き鳥いろいろに始まり、天ぷら、揚げ出し豆腐、などなど、特に気に入ったらしいのが、〆の鍋焼きうどん。
ポルトガルのパスタはうどんくらい柔らかだし、スープは同様に魚出汁・・・似ているのかも知れません。

翌日はよく晴れて、多分、東京ー向かう新幹線から富士が見られたのではないかしら。
夫が浅草に連れて行きました。
今夜は、高級ホテルに泊まり、高級な店ですき焼きを食べるらしいです。
仕事を兼ねた一週間の旅でした。






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by aomeumi2 | 2018-09-17 21:40 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(20)



夫のあとを、金魚のフンのようについて歩いていたカルロスが、日本にやってきました。
帰国するときにも大泣き・・・それから旅人としてポルトガルに行ったときにも、仕事を放り出して飛んできて・・・
泣きました。

娘にメロメロ・・・。

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三日三晩続く、盛大な結婚式をしたというのに・・・別れてしまった。
時々、子供に会うのが楽しみ・・・

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なかなかハンサム・・・優しいし、モテるので、会うたびに彼女が変わっています。

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今日は、豊橋で夫と待ち合わせ、新しい船を見に行きました。
今頃は、伊豆の富戸の旅館で飲んでいるでしょう。
明日は、朝早く、日本の定置網を見に行き、我が家に一泊します。
また、泣いたのかしら・・・。

夫は、元子分に、生のイカとタコをもってこいと命令していました。
私は、小振りのマテ貝とコンキーヤが食べたいんだけれど・・・オリーブオイルも切れるし、チーズも食べたい・・・
イチジクも・・・。









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by aomeumi2 | 2018-09-15 23:27 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(14)



若いころ、母は毎日「どうぞ娘が新聞沙汰になりませんように・・・」あるいは・・・
「どうぞ、娘が殺されませんように・・・」と、近所のお地蔵さまにお願いしていたそうで、
それどころか「殺してもいいから、殺されませんように・・・これが、あ〜た、母親ですよ」と。

その娘がついに、新聞沙汰になった・・・ただし、殺されも、殺しもしない・・・。
72才で、サルサを習いはじめたというのが、そのネタでした。

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サルサのお手本を踊ってくださる、レイヤさんとケン先生です。
奥のブルーのシャツが、記事を書いた "こ〜ひん" さん(サルサネーム)です。
私のサルサネームは、リタ・・・イザベルが私をそう呼んでいたのです。

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私がサルサを習おうと思ったきっかけは、
東京新聞の暮らし面に載っていた「50代の地域デビュー」という連載でした。
定年後に備え、自分の居場所を探すために、
地元の将棋サークル、ボランティア、料理、アロマテラピー、地域の盆踊りなど
さまざまな体験をする・・・そのなかにサルサがあったのです。

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長く政治の世界の敏腕記者として仕事漬けの日々を送って来たらしい、清水孝幸氏の
いわゆる "親父の成長物語"

単なる取材ではなく、記者の体験談ですから、戸惑いや失敗もあり、その顛末が面白い。
サークルでの仲間作りや、趣味講座での学び、地域のイベントを楽しんだり、
ボランティアで役に立ったり、四つの章に 50ほどの体験談が綴られています。
とてもいい本です。







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by aomeumi2 | 2018-09-10 13:41 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(18)




夫の父の後妻が亡くなりました。施設に入ってからも、病気がちで、入退院を繰り返していました。
最後に行ったときには、もう、私たちを覚えていませんでした。
でも、最初の結婚で置いてきた娘の名前は覚えていました。
施設に入ってからも、会いには来てくれず、義母も、会いたいとは決して言いませんでした。
最後まで、意地を張り合った母娘でした。

台風で、すぐには行けず・・・飛行機がやっと取れて、昨日、夫がひとりで行きました。
葬儀はしないとのことで、隣に住んでいた従兄弟たちと、食事をしただけのようです。
十人兄弟の末っ子だった義父の兄弟は誰も残っていません。


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結婚以来、30年以上、帰国すると必ず長崎に行きました。
義父との間に子供のなかった後妻は、快く私たちを受け入れ、もてなしてくれました。
料理上手で、からし茄子、ラッキョ、麦味噌・・・などなど、手作りをスペインにもポルトガルにも運びました。

庭の花を供えました。蕾を摘み忘れた薔薇が開いたところでした。
夫が戻ったら、後妻の得意だった大村寿司でも作ろうと思っています。

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家事や料理が得意だった後妻は、よく働いて日々を過ごしていました。
持病のリュウマチが悪化して、施設に入り十年。
料理上手だった母には食事が不満だったことでしょう。みるみる気力が失せていき、うつろな表情に・・・。

義父は、自分が生まれ育った海や地や、自分の家がよく見えるところに墓を作りました。
「全部済んでいるから、お前たちはなにも心配するな・・・」と、義父からは言われていましたが・・・
紙面で残っていない・・・ということで寺と揉めています。
死んでからも、金を取ろうなんて・・・前回、行ったときに「お金を払わないと、骨は捨てるんですか ?」と、
ワタシが坊主に迫ると・・・返事はありませんでした。
檀家制度が崩壊し、寺も金が欲しいのです。

なんて、世の中でしょう。






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by aomeumi2 | 2018-09-07 11:08 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(10)


リスボンの岸澤クンとマグダです。あの迷路的路地アルファマの住人で、よく一緒に飲みました。
岸澤クンは「ようこそポルトガル」という観光サイトを運営、ポーランド人のマグダは経営コンサルタント?
漁師町にもなんどか二人で遊びに来ました。
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家族が増えていました・・・40代のパパとママです。
マグダ・・・マリアのような優しい顔になっていました。
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お腹が空いたとき以外は一度も泣かず、おじいちゃんにもすぐに懐きました。
このくらいの子は、好奇心の固まり・・・少しもじっとしていません。
可愛い子でした。
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お昼は、紫蘇ジュースとか、素麺とか・・・マグダは日本食はなんでも食べるそうで、納豆も巻きにすればOK。
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これはどうかしら・・・と、心配しましたが・・・馬肉。
意外なことに、ポーランドでも馬はよく食べるそうで、生でも(タルタル)食べるそうです。
喜んでくれました。
後はいつものポルトガル風魚介鍋とか・・・庭の自家製山椒ちりめんも喜んでくれました。
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どこにも出かけず、ただただ、食べて飲んで・・・岸澤クンと私は三時まで飲みました。
毎日飲んだくれていた彼が、子供が生まれてからはほとんど飲みに行かなくなったそうで・・・偉い。

帰りに海に寄りました。
シーズンが終わって閑散・・・ちっとも海を怖がりません。
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こんな光景に、感慨深いものがありました。
楽しい一日でした。

帰ってから冷蔵庫を開けると・・・食べさせようと準備していた料理を出し忘れていたことに気がつきました。
ロックのチョコレートケーキも忘れた・・・年取ったのねぇ、私たち。







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by aomeumi2 | 2018-08-29 15:01 | 喜怒哀楽な人々 | Comments(18)